疲れ果てた心身をリフレッシュしたい。自己啓発の機会を得たいーーそんな動機から神社やお寺で行う参禅研修(修行体験)が注目されるようになったのはいつからだろうか。じつは日本はもとより、「イノベーション都市」深センでも悩める若者たちが続々と“プチ出家”を志しているという。
▶深センは「幸福感ゼロ」?
昨今、深センの人びとの心を抉るような衝撃的なデータがネットで出回った。「最も幸福感がある都市ランキング」の順位表で、深センは主要都市の中でビリ、スコアはゼロという惨憺たるものだった。
データの由来は2007年から14年にかけて新華社と「瞭望東方週刊」、瞭望智库が合同で実施してきた調査で、雇用、住民の収入、生活の質、エコロジー環境、都市の魅力、治安、教育、医療、交通など9つの主要分カテゴリー、数百の指標によって各都市をランキング化したもの。深センが上位に顔を出したことはこれまで一度もないという。
ちなみに「🔗国民経略」微信公衆号の記事によると、トップ10の常連は成都、杭州、長沙。一線都市の広州は過去3回、北京、上海はそれぞれ2回上位にランクインしている。
もちろんこの調査結果に賛同しない人もいるだろう。なんといっても深センはテンセントやファーウェイなど世界に冠たるグローバル企業が本拠地とする、世界に名だたるイノベーション都市だ。刺激にあふれ居住者の平均年齢は低く、エネルギッシュ。それでいて緑化率も高くレジャーも充実している。教育や医療等で相対的に遅れが見られるとする指摘があるとはいえ、まさか幸福度のスコアがゼロのはずはないというわけだ。
深センに住む人の幸福感が乏しいというのが本当だとしたら、おそらく生活コストの高さも大きく影響していると想定される。同市で持ち家を持つのは難しく、常に生存と雇用のプレッシャーにさらされるのが宿命だ。対して長沙や成都では、道端の屋台や茶館にたたずむだけで、主流とはいえないにしてもそこそこの文化に浸っている気分が味わえる。充足した生活体験をするうえで、コスパが断然違うというわけだ。
▶ “出家”が静かなブームに
中国の若者の価値観はいま大きく揺れている。人びとの幸せを最優先とする「国民総幸福量」(GNH)の概念を確立した仏教国ブータン王国の例を持ち出すまでもなく、“華々しい”国内総生産(GDP)、域内総生産(GRP)の成果が必ずしも幸福感に結びつくものではないことに気づき始めているかのようだ。
深センに住む若者の間で“出家”が静かなブームになっているのもそんな背景があるからだろう。むろん、“出家”といっても、俗世間のしがらみを断ち、剃髪した姿で仏門に入ることを意味しない。短期間、寺院に寝泊まりし、僧侶の指導のもとでボランティアに勤しみながら、“修行”に励み、心身を“整える”行為を指す。微信公衆号「深圳之窗」では、深センで働く若い女性2人にスポットを当て、彼女たちの“プチ出家”体験を紹介している。
▶“プチ出家”体験:リサさんの場合
貿易会社で働くリサさんが1週間の“プチ出家”への参加を決心したのは、毎日の生活に不安を感じ、これまでにない全く新しい体験をしたいと思ったからだ。実際、長引くコロナ禍で彼女の勤め先は業績が悪化、いつ解雇されてもおかしくない不安定な状況におかれ、焦りを感じていた。
深セン市羅湖区にある臨済宗の寺院、弘法寺で彼女は1週間を過ごす。寝泊まりしたのは8人部屋。起床時間は毎朝4時で、洗顔を済ませて宝殿に出向き儀式に参加。その後、清掃を済ませて朝食をとり、30分の休憩をとった後、8時に寺院の門に出向く。そこで「阿弥陀仏」を唱えながら信者に線香を配るというのが彼女の任務だった。朝食は6時、昼食は11時半、夕飯は17時と1日3食あるが、食事はいずれも精進料理だった。
▶“プチ出家”体験:雪さんの場合
もうひとりの女性、雪さんは、3日間の最短プランで“プチ出家”を体験した。休みをとってどこかに繰り出したいが、コロナ禍で万が一に隔離されたら面倒。ならば寺で過ごそうかーーそんな気軽な気持ちだったと見られる。そして、リサさんがそうであったように、雪さんは寺に滞在している間、振り分けられたグループにしたがって、作業のミッションをこなすことになる。
彼女が振り分けられたグループの任務は、衣類やカバー、シーツの洗濯やアイロンがけ、廊下の掃除だった。雪さんは当初、この仕事が他のグループと比べて煩雑で苦労も多く、抵抗を覚えたという。その気持ちを察したグループ長から、苦労は厭わず、それをし尽くしてこそ快楽が得られるという道理を雪さんは聞かせられる。彼女も開き直った。「滅多に得られる体験ではない、とことん疲れ切るまでやってみようーー」(雪さん)。
▶“プチ出家”で得た“財産”
2人の“プチ出家”中の生活描写については割愛させていただくとして、リサさんは下山後、週末や朝晩に1時間ずつ自宅で瞑想するのが習慣になったという。人とおしゃべりするときでも心のなかで“阿弥陀仏”とつぶやくなど、日々の感謝の気持ちを忘れない。“プチ出家”を通して彼女は無形の“財産”を手に入れた。思いやり、許し、他人への優しさ……。そして最も重要なのは、それまでそわそわと落ち着かなかった気持ちが消え、明鏡止水ともいえる状態に浸る体験をしたことだ。
もちろん、ふだんの生活にもどれば依然として仕事のプレッシャーは存在し、失業するのではないかとの不安も完全に払拭されたわけではない。しかし、それでも彼女は釈然とした気持ちで、新たな人生の道筋を描く一歩を大きく踏み出したようだ。
一方の雪さんも、短い期間ながら“プチ出家”で計り知れない平和と幸福を感じ取ったという。その後も彼女は折々弘法寺に出向いては、(日帰りではあるものの)奉仕活動に励んでいる。彼女は寺での経験を通して、苦労に耐えること以外に誠実であることの尊さを学んだとしている。寺で過ごした数日間は仕事のプレッシャーや職場のストレスとも無縁の世界だった。慈悲と誠意で人と接し、各々が自らを奉仕に捧げていることに彼女は感慨を覚えたという。
▶ 目的は「生活経営」
もっとも、“プチ出家”が静かなブームになっているとはいえ、これを絶賛する声がすべてというわけではない。人によっては、この行為を世俗からの逃避と見る。“プチ出家”が終われば、あたかも酒の酔いから醒めるのと同じく、一向に減ることのない現実の問題を前に愕然とするのがオチだというわけだ。
しかし、それでもなお“プチ出家”に意義があるとしたら、これが異なる角度から自分の人生を見つめ直す格好の機会になることだ。仕事に追われ、生活に汲汲忙忙するなかで、ときには立ち止まり、異次元の環境に自分を投じることで、新たな気付きが生まれることもある。
平和的かつ合理的に物事を考え、現在直面している人生の困難、不安や不満、挫折、マイナス的思考を別の角度から見つめ、最善の解決策を得ること。それこそ“プチ出家”の醍醐味といえよう。究極の目標は、心身を“整え”、人生をより良く“経営する”ことにあるのだ。 (文・耕雲)
※以下の記事を参考に改編。